日々のあれこれ

思春期男子に翻弄され、アラフォーの体調変化に怯えながらも冷えとりで子宮力アップを狙う主婦の日々のつぶやき、というか雑記。中学受験終了組の備忘録、これから始まる予備軍の奮闘記も載せていこうと思っています。

中学受験は親のエゴなのか

マスク姿にキッズ携帯を首に下げ、リュックを背負い夜遅く家路に着く子どもたち。

本番まで既に50日を切った。

沢山の期待と不安を背負い、己の力だけで挑むのだ。

どんなに助けてあげたくても親は何もしてあげれない。

無力を痛感する。

この時期になると思い出す。

息子の中学受験の年のこと。

 

低学年から塾に通い始めた息子はそれは楽しそうに通っていた。

受験を視野にいれていたとはいえ、まだ低学年。

週に2回ほど通うだけで時間も短く、私たちも当時はまだ「習い事感覚」であった。

 

それが5年を過ぎるあたりからそれは「現実」になってきたのだ。

塾の拘束時間も徐々に増え、休日にもテストが入る。

授業の復習に宿題プリント、6年になると過去問にも取り組まねばならなくなってきた。

他の習い事は両立が難しく、本人の希望もあり5年で辞めた。

当然、家族で出掛けるレジャーも、友だちと遊ぶ時間も徐々に少なくなっていった。

家にいる時間も減り、休日のお出掛けは常に息子を抜かした3人になった。

夕食も週に半分は一緒に食べれない。

 

午前授業で学校が早く終わる日、

友だちの多くは下校後遊ぶ約束をしている。

近所のお祭りも誘ってもらったが、塾の終わる頃にはお祭りも終わっているため断った。

毎年クリスマス会をしていたが、それも通塾日と重なり参加できなかった。

 

まだ小学生。

友だちと遊びたい

ゲームもしたい

テレビだってみんなが見てるのを見たい

そんなの当然だ。

友だちが公園へ向かう姿を横目に机に向かい、時間が来れば重いリュックを背負い塾へ向かう。

わずか12歳の子が背負うにはあまりにも重すぎるのではないか。

同級生が遊ぶ姿を見るたび、めげてしまいそうになったのは私の方だった。

 

こうして書くと健気に塾に通い、テレビやゲームを我慢し努力を続けたように思えるが、実際はそんな綺麗なものではない。

最低限毎日やらなくてはいけない課題さえ取り掛からず、これだけと言いながらいつまでもテレビを見る。

子どもなりにストレスもプレッシャーも感じるだろう。わけもなくイライラし当たり散らすこともあった。

親子でぶつかり、息子は怒り、泣きながら、それでも机に向かっていたこともある。

 

その姿を見た人がいたとしたらこういうかもしれない。

「こんな思いまでしてやらなければいけないことなのか。中学受験は親のエゴではないか」

 

「中学受験は親次第」というが本当だ。

それは、

親の出来や、

親が勉強をみてあげる

そういうことではない。

塾の先生に言われたことばで私の心に深く刻まれているものがある。

「家で勉強しないと相談に来られる方が沢山いますが、子どもたちは塾で十分に勉強しています。その事実だけは忘れないであげてください。」

その通りなのだ。

親の私には塾での姿は見えない。

私の目に映る息子は、テレビを見て、これが終わったらやると言いながらなかなかソファから動かない。

それでも、時間こそ長くはないが自ら机に向かいテキストを進める。

4時間も塾に行った後にだ。

その事実だけは見落としてはいけない。

 

中学受験は正しいのか。

親のエゴではないのか。

 

その答えは分からない。

しかし、一つの目標に向かい、己の力のみで闘いに挑んでいく小さな12歳の背中に、可哀想と涙を流すのは違う。

エゴと思う人がいるならそう思えばいい。

この子が1年後笑っていられるなら私は何を言われてもいい。

 


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